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熊野本宮大社くまのほんぐうたいしゃ

熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)は、〒647-1731和歌山県田辺市本宮町本宮1100にある神社です。まつられているのは家都美御子大神。社格は式内社(名神大社) 旧官幣大社 別表神社。創建は伝・崇神天皇65年と伝わります。

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この社のはじまり

和歌山の熊野本宮大社。いまのやしろは、もとの場所にはないんだ。

場所は和歌山県田辺市の本宮。JR紀伊田辺駅からバスでおよそ2時間、新宮駅からならおよそ1時間20分。本宮大社前でおりてすぐです。

もとの社殿は、三本の川が合わさる中州に建っていました。そこが、オオユノハラと呼ばれる場所です。

いまの境内より、ずっと広かったのじゃ。およそ1万1千坪。五つの棟に十二のやしろがあり、楼門や能舞台まであったのじゃ。

1889年、明治22年の8月。大水害が、その中州をのみこみました。

三本の川が集まる場所に、建ってたんだ。

社殿の多くが流されました。流されずに残ったのは、四つのやしろだけでした。

2年後の明治24年。残った四つは、500メートルほど北の高台へ移されました。それが、いまの熊野本宮大社です。

同じ場所に建て直さないで、引っこしたんだ。

流された八つのやしろは、いまももとの中州にまつられています。石の祠が、二つ建てられました。

そして2000年、その広場に大鳥居が建った。高さは、およそ34メートル。日本でいちばん高い鳥居じゃ。

行ったら、いまの社殿から歩いて10分の、オオユノハラへ行ってみてください。二つ並んだ石の祠に、流された八つのやしろがまつられています。

水にのまれても、まつるのをやめなかった。それが、いまのやしろにつながっておるのじゃ。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・熊野の神…よみがえりの地とされ、上皇から庶民まで参詣した。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

出典

①創建を崇神天皇65年(紀元前33年)とするのは『皇年代略記』『神社縁起』にもとづく社伝であって、史料で年代を確かめられるものではないため、本編では創建年を言っていない。②大斎原へ三体の月が降臨したという降臨譚も社伝なので本編では扱っていない(神様の姿も描かない)。③水害の被害(死者・流失した家屋など)には触れていない=災害を煽らないため。中州に社殿があったことを『危なかった』という評価では語らず、移した事実だけを述べた。④御祭神(家都美御子大神=スサノオノミコト)は本編で読み上げていない。神名は耳で覚えられないため。⑤大鳥居の高さは資料により33.9mと『約34m』の表記があるので、本編では『およそ34メートル』と幅のある言い方にした。⑥『日本でいちばん高い鳥居』は日本記録認定協会の認定にもとづく。⑦石祠の左右(どちらに中四社・下四社がまつられているか)は出典が食い違う(みくまのねっと=向かって右/熊野本宮大社公式の別ページ=左側)ので、本編では左右を言っていない。チャッピーの指摘で気づいた。⑧八咫烏・蟻の熊野詣・熊野古道の世界遺産登録は、1本1論点にするため今回は触れていない。⑨初穂料・参拝時間・バスの運賃など変わる数字は本編に入れていない(参拝時間は公式で午前8時から午後5時)。⑩ご利益は約束していない。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。