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鹿島神宮かしまじんぐう

鹿島神宮(かしまじんぐう)は、茨城県鹿嶋市宮中2306-1にある神社です。まつられているのは武甕槌大神。社格は式内社(名神大) 常陸国一宮 旧官幣大社 勅祭社 別表神社。創建は伝・神武天皇元年と伝わります。常陸国の一之宮です。

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この社のはじまり

茨城の鹿島神宮は、武道の神さまのおやしろって本当?

かしまじんぐう。茨城県の南東、鹿嶋市にあります。

10月の第2月曜日は、スポーツの日。祝日のはじまりとは、関係ありませんが。

このやしろの神さまは、武道の神として、武将たちにもあがめられてきました。

どうして、武道の神なの?

まつられるのは、たけみかづちのおおかみ。国ゆずりの神話の神さまです。

神話では、この神のつるぎが、はじめの天皇を救ったと伝わります。

国宝のちょくとうは、全長が、にてんななメートルをこえます。

伝わってきた刀では、日本でいちばん古く、いちばん大きいのじゃ。

1605年、家康は関ヶ原のお礼に、いまの奥宮の社殿をおさめました。

いまも境内には、きゅうどうじょうと、剣道や柔道のぶとくでんがあります。

行ったら、ろうもんを見上げてください。高さは、およそじゅうさんメートルです。

由来は別じゃが、ここには、武道の神の信仰が伝わるのじゃ。

いばらきのこの神さま、つるぎの切っ先にあぐらをかいたって。

かしまじんぐう。いばらき県かしま市、きたうらと太平洋にはさまれた台地の上にあります。

刀についた血から生まれ、武道の神とあがめられてきたお方じゃ。ならば、ふたりで手を合わせて、名をよぶのじゃ。

たけみかづちのおおかみさまー。出てきてくださいー。

よんだか。われがたけみかづち。刀についた血から生まれた神である。

古事記です。いざなぎのみことが火の神を斬ったとき、刀の根もとについた血が岩に飛び散り、みはしらの神が生まれました。その三番目が、この神です。

天照大御神の言いつけをうけ、われは出雲の、いなさのおはまへ降りた。

とつかのつるぎを抜き、逆さまに波の上へ突き立てて、その切っ先に、あぐらをかいて座った。

つるぎの先に、座ったのか。

そのうえで、おおくにぬしのかみに問うた。この国を、ゆずるか、と。

子のことしろぬしのかみは、たてまつります、と答え、青い柴のかきに姿を変えて隠れました。

もうひとりの子、たけみなかたのかみは、力くらべをいどみます。取られたその手は氷になり、つるぎのやいばになりました。

それでも投げはなたれ、たけみなかたのかみは、すわの海までしりぞいたと、古事記は記します。

かしまじんぐうには、長さ二メートル七十センチをこえる直刀が伝わります。いまに伝わるつるぎでは日本でいちばん古く大きいとされ、国宝です。

行ったら、ほうもつかんの直刀を見るのじゃ。つるぎから生まれた神の、つるぎがそこにおる。

茨城の鹿島神宮。地震を止める石が本当にあるって、どういうこと。

場所は茨城県の鹿嶋市。JR鹿島線の鹿島神宮駅から、歩いて10分ほどです。

境内の奥に、かなめいしと呼ばれる石があります。地面から見えているのは、手のひらほどのへこんだ部分だけです。

その石は地中深くまで埋まっていて、地震を起こす大きなナマズの頭を押さえていると、古くから伝えられてきました。

江戸時代、水戸の徳川光圀が、どこまで埋まっているのか確かめようとしました。

七日七晩、掘らせたのじゃ。それでも底には届かず、けが人が続いて、あきらめたと記されておる。

これは水戸藩に伝わる書物に残る話です。実際にどこまで埋まっているのかは、今も分かっていません。

この石が広く知られたのは、1855年、安政の大地震のあとでした。

地震のあとに、有名になったんだ。

大ナマズを押さえる絵がおふだになって、江戸で流行ったのじゃ。となりの千葉県にある香取神宮にもかなめいしがあってな。あちらは丸い形をしておる。

鹿島神宮は、全国およそ600社ある鹿島じんじゃの総本宮。927年の延喜式で、神宮と書かれたのは、伊勢、香取、鹿島の三社だけでした。

行ったら、奥参道を300メートル進んでください。奥宮の先に、かなめいしがあります。

地面に出ているのは、ほんの少し。その下は、誰も見たことがないのじゃ。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・武甕槌・経津主…剣の神。国ゆずりの伝えに出てくる。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

この社の特集

祀られた神

鹿島神宮

国譲りへ向かった

武甕槌大神をまつる

祭神は武甕槌大神。 国譲りの神話で出雲へ赴いた神で、 奈良に春日大社を創建するとき、 鹿島から分霊を遷したと伝わる。

鹿島神宮では鹿を神の使いとして大切にしている

神社の由来

鹿島神宮

地名が社の名になったのではなく

社の名が地名になった

『常陸国風土記』は、この地を香島と書く。 そして香島郡という名は 「香島の天の大神」に由来すると説く。 つまり、先にあったのは社の名のほうである。 鹿島と書いた初めは養老七年で、 八世紀のはじめに字が変わったとみられる。

カシマの意味には諸説あります。 神の住むところ=カスミとする説、 建借間命の名によるとする説など。 神宮では神使の鹿にちなむと説きます。

神様に話しかけてみたシリーズ

武甕槌大神

刀についた血から生まれた神は、

波に逆さに立てた剣の切っ先にあぐらをかいた

伊邪那岐命が火の神を斬ったとき、 刀の本についた血が岩に走り就いて三柱の神が成り、 その三番目が建御雷之男神だと『古事記』は記す。 国譲りの談判では出雲の伊耶佐の小浜に降り、 十掬剣を逆さまに浪の穂へ突き立て、 その切っ先にあぐらをかいて坐したという。

神話です。起きた出来事としてではなく、 そう伝えられていることとして紹介しています。 せりふは『古事記』と鹿島神宮の公式をもとに こちらで言葉にしたもので、 神さまが実際にそう話した記録ではありません。 共に天降った神を『古事記』は天鳥船神と記し、 鹿島神宮の公式は経津主大神と伝えます。

出典

スポーツの日と鹿島神宮に由来のつながりは無い=03で「祝日のはじまりとは関係ありません」と言い、つながりを作らない。/この日に鹿島神宮で特別な祭典があるとは公式に書かれていない=時刻や行事は言わない。/国宝の直刀は宝物館の長期休館のため現在は茨城県立歴史館の収蔵庫に保管=「行ったら見られる」とは言わない(12は楼門)。/韴霊剣と国宝の直刀が同じ物だとは言わない(別々に紹介する)。/神武天皇の話は公式の「神威により救われた」を「と伝わります」で言う。/ご利益(勝負に勝てる等)は約束しない。/絵は説明用の挿絵で、実物の写しではない(楼門・刀・社殿の形は実物と細部が異なる)。
①この回のせりふは、記紀と社の公式に書かれていることを会話の形に置きかえたものです。神さまが実際にそう話したという記録ではありません。②生まれ、国譲りの談判、力くらべは、いずれも『古事記』が記す神話です。事実として起きたことではありません。③『古事記』は共に降ったのを天鳥船神と記し、鹿島神宮の公式は香取神宮の御祭神・経津主大神と共に天降ったと伝えます。本編ではどちらか一方に決めず、供の神には触れていません。④神さまの姿は、記紀と社の公式から拾った手がかり(刀剣の神・ミカヅチという名・上代の装い)をもとにこちらで想像して描いたものです。定まった図像があるわけではありません。⑤ご利益は約束していません。⑥ナレーションは耳で分かるように、一部の語をひらがなに開いています。
要石が地震を起こすナマズの頭を押さえているという話は古くからの言い伝えであり、本編でも『そう伝えられてきました』と明言している。徳川光圀が7日7晩掘らせた話も『黄門仁徳録』に記された伝承で、掘った年(1664年)や実際の深さは確かめられていない(07で『今も分かっていません』と言っている)。地上に出ている部分の寸法は資料によって幅があるため数字を言わず『手のひらほど』とした。鹿島と香取の要石が地下でつながっているという伝えは確かめようがないため扱っていない。地震そのものの被害や防災の効果には触れず、信仰を否定せず、ご利益も約束していない。祭神(武甕槌大神)の人物評や、国譲り神話の解釈には踏み込んでいない。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。