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熊野速玉大社くまのはやたまたいしゃ

熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、和歌山県新宮市新宮1にある神社です。まつられているのは熊野速玉大神・熊野夫須美大神。社格は式内社(大) 旧官幣大社 別表神社。創建は伝・景行天皇58年と伝わります。

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この社のはじまり

和歌山のくまのはやたまたいしゃに、神さまの持ち物があるの?

くまのはやたまたいしゃ。和歌山県新宮市にある、熊野三山のひとつです。

ここには、600年以上前の神さまの持ち物が、まとめて国宝として残っています。

こしんぽうと呼ばれ、およそ千点もあるのじゃ。

神さまの持ち物って、どんな物なの?

着物や手箱、ひおうぎ、化粧道具や武具まで、さまざまな品がそろっています。

めいとくがんねんの1390年に、神々へ納められたのじゃ。

納めたのは、天皇や上皇、将軍の足利義満、各地の守護たちでした。

そんなにたくさん、どの神さまに納めたの?

くまのはやたまのおおかみら十二の神々と、あすかじんじゃにあてたものです。

中世の暮らしを伝える品として、1955年にまとめて国宝になりました。

訪れたら、境内の神宝館で、こしんぽうの一部を見てください。

神さまの持ち物が、600年をこえて、いまも伝わるのじゃ。

和歌山のかみくらじんじゃ、拝む先が建物じゃないんだって。

かみくらじんじゃ。和歌山県のいちばん南、しんぐうの海を見おろす岩山の上にあります。

ふもとから続く石段は538段。かまくらづみとよばれるつみかたで、みなもとのよりともが寄進したと伝えられています。

登りきった先にあるのは、小さな社殿と、そのうしろの巨大な岩。拝む相手は社殿ではなく、この岩そのものです。

この岩を、ゴトビキ岩とよぶ。ゴトビキとは、この土地の言葉でヒキガエルのことじゃ。

岩のしたからは、平安時代のきょうづつがたくさん見つかりました。さらにそのしたの層から、弥生時代のどうたくのかけらが出ています。

社殿より、ずっと前から拝まれてたんだ。

そうじゃ。くまのさんざんの神が、いちばんはじめに地上へ降りたのが、この岩と伝えられておる。

いまは、くまのはやたまたいしゃのせっしゃです。世界遺産、きい山地の霊場と参詣道の一部にもなっています。

毎年2月6日の夜、この石段を松明の列が駆け下ります。おとうまつりです。

白い装束に荒縄を巻いたのぼりこ、およそ2000人。2016年、国の重要無形民俗文化財になりました。

行ったら、石段を登りきったところで振り返ってみてください。しんぐうの町とくまのなだが、一度に見わたせます。

やしろより先に、岩があった。人はその岩を拝むために、538段を登ってきたのじゃ。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・熊野の神…よみがえりの地とされ、上皇から庶民まで参詣した。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

この社の特集

神社の由来

熊野速玉大社

元宮から遷ったため

新宮と呼ばれた

熊野の神々は神倉山に降りたと伝わる。 その後、石淵を経て現在地へ遷った。 神倉神社を元宮と呼ぶ。 新しい社地の速玉大社は新宮と呼ばれた。

由緒は熊野速玉大社の社伝による。

出典

待ち行列の言い切り案「遷宮のたびに新調し、古いものを納めて伝えた」は、公式・県立博物館・文化庁の解説のどれにも書かれていないため使わない。明徳元年の奉納の理由(社殿造営等)も本編では言わない。/点数は公式の「約千点」に合わせる(國學院の事典は1,200点余、県立博物館は約1000点、Wikipediaは1,000点を超える)。/「まとめて国宝」=1955年6月22日に「古神宝類」として一括指定(國學院・Wikipedia・文化庁DB転載)。公式は「その殆どが国宝」と書くため、本編は「すべて」とは言わない。/「600年以上前」=明徳元年(1390年)から2026年で636年。後から補充された品もあるため、題名・本編は「600年以上前の持ち物が残る」とし、全点が1390年製とは言わない(07は「1390年に納められた」=奉納の年として言う)。/奉納者の天皇=後小松天皇、上皇=後円融上皇(県立博物館)。本編は名を出さず「天皇や上皇」とする。/十二の神々=熊野十二所権現。奉納先には摂社の阿須賀神社も含まれる(県立博物館)ため10で名を出す(チャッピー確認1回目の指摘)。阿須賀神社伝来の分は戦後に国有となり京都国立博物館蔵=03「ここに残る」は速玉大社に伝わる分のこと。/神宝館の展示品は時期で替わる。12は「古神宝の一部」とだけ言う。開館日時は公式で確認するよう概要欄に書く。/神様の名は熊野速玉大神の一柱だけ出す(10)。熊野夫須美大神など他の神は名を出さない。/画像はAIで作った再現イメージで、実物の写真ではない(古神宝・社殿の細部は実物と異なる)。
①源頼朝が石段を寄進したという話、熊野の神が最初にこの岩へ降りたという話は、いずれも社に伝わる伝承です。事実として確かめられたことではありません。本編でも「伝えられています」「伝えられておる」と言っています。②石段の段数538段は社と新宮市が公表している数です。数え方によって前後することがあります。③御燈祭の参加人数はおよその数で、年によって変わります。④岩の下から出た経筒と銅鐸片は発掘調査によるもので、年代の考え方には幅があります。⑤御燈祭に上れるのは古くからの慣習で男性に限られています。ここではその是非を評価していません。⑥石段は非常に急で、雨の日や靴によっては危険です。参拝や祭りの可否・時間は変わることがあるので、行かれる前に社と市の案内をご確認ください。⑦信仰そのものへの評価はしていません。ご利益も約束していません。⑧ナレーションは耳で分かるように、一部の語をひらがなに開いています。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。