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生國魂神社いくくにたまじんじゃ

生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9にある神社です。まつられているのは生島大神・足島大神。社格は式内社(名神大2座) 旧官幣大社 別表神社。創建は(伝)神武天皇即位前頃と伝わります。

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この社のはじまり

大阪城のあの場所に、もとは神社が建っていたんだって。

いくくにたまじんじゃ。まつるのは、日本の国土そのものの神です。

いくしまのおおかみと、たるしまのおおかみ。島を生み、島を育てる神とされます。

はじめに建っていたのは、なにわのみさき。いまの大阪城をふくむ一帯と伝わります。

その隣には、石山本願寺も建っておった。天正八年、西暦千五百八十年の合戦で社殿は焼けたのじゃ。

そのあと豊臣秀吉が、大坂城を築きます。社は南西の、いまの生玉町へ移されました。

お城のために、どかされたんだ。

社伝では天正十三年。西暦千五百八十五年、四百四十一年前のことです。年には諸説あります。

じゃがな、神さまは帰るのじゃ。年に一度、もとの土地へな。

七月十一日と十二日の、いくたままつり。神社の案内には、旧神域の大阪城まで、と書かれています。

いまも帰ってるんだ。

大阪城公園には、お旅所跡の石碑が残ります。行ったら、その石碑をさがしてください。

社は動いても、神の土地は動かんのじゃ。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・生島・足島(土地の神)…土地そのものをまつる神。方角と地鎮の信仰がある。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

この社の特集

移された社

生國魂神社

いまの大阪城の場所に

建っていた

もとは石山(いまの大阪城)に鎮座し、 すぐ隣に大坂本願寺も建った。 豊臣秀吉が大坂城を築きはじめると、 南西のいまの生玉町へ移された。

移った年は諸説あります(築城の始まった天正11年=1583年/ 社伝は天正13年/ 『義演准后日記』からは慶長3年=1598年とも)

出典

①遷座の年は定まっていない=社伝は天正13年(1585年)、『義演准后日記』からは慶長3年(1598年)とする見方、大坂城の築城が始まった天正11年(1583年)とする紹介もある。本編[08]で社伝の年を言ったうえで『年には諸説あります』と言っている。題名の『441年前』は社伝の年から数えたもの。②創建(神武天皇の時代・約2700年前)は社伝であって同時代の記録ではないため、本編では創建の年代を言っていない。③『国土そのものの神』は、社の系統の説明にある「大八洲の御霊」「八十島神(日本列島そのものの神)」という言い方をなぞったもので、私たちの解釈ではない。④石山合戦での焼失は大阪市の説明に「石山合戦のとき焼失」とあるが月日までは書かれていないため、本編では月日に触れていない。⑤『神さまは帰る』は、もとの社地(旧神域)まで渡御があるという社の公式の記述をふまえた言い方。社の公式の用語は『渡御列の巡幸』で、本編[10]では公式の文面をそのまま引いている。年によっては徒歩ではなく車両で行われる。⑥ご利益は約束していない。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけていない。神様の姿は描いていない。実在の社殿・城は写実的に描かず落書き風のままにしている。⑦祭の日は交通規制がある=概要欄に「お出かけの前に現地の案内で確認を」と書いた。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。