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丹生川上神社上社にうかわかみじんじゃかみしゃ

丹生川上神社上社(にうかわかみじんじゃかみしゃ)は、奈良県 吉野郡川上村にある神社です。

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この社のはじまり

奈良のにうかわかみじんじゃは、どうして山の上にあるの。

もとの境内は、いまダムの湖の底です。

水に沈むことが決まって、社殿の下を掘りました。すると、思いもよらない物が出てきます。

およそ四千年前の祭りの跡が出たのです。縄文時代の、中ごろの終わりから後のはじめ。こぶしほどの石が輪の形に並び、そのなかに、細長い石が立っていました。

社殿が建つより、ずっと前から、ここは祈る場所だったのじゃ。

遺跡の名は、みやのひらいせき。奈良時代の後半から平安時代のはじめには、祭りの場として使われていました。

社殿が建ったと分かるのは、平安の終わりから鎌倉のはじめごろ。掘って、初めて見えたことです。

建物の年より、祈りの年のほうが、ずっと古かったのじゃ。

掘らなかったら、だれも知らないままだったんだ。

まつられているのは、たかおかみのおおかみ。水と雨をつかさどる龍の神です。日でりには黒い馬を、長雨には白い馬を、朝廷が奉納しました。

昭和34年の伊勢湾台風をきっかけに、大滝ダムの計画が進みます。境内は水没することになり、平成10年3月、やしろは高台へ移りました。

行ったら、社殿の前から谷を見おろしてみてください。その水の底が、四千年の祭りの跡が出た、もとの境内です。

場所は沈んでも、祈った時間は消えないのじゃ。

この社のこと

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水底の社

丹生川上神社上社

動かしたら、その下から

四千年前の祭りの跡が出た

大滝ダムに沈むことになり、 1998年に高台へ移された。 掘ったところ、本殿の真下から 平安時代より古い石の祭壇が出た。

縄文時代の中ごろから後のはじめ(およそ4000年前)の、 立石をともなう環状の配石も出た(宮の平遺跡)

幻の社

丹生川上神社(古社地)

記録に残る古社の場所は

長く分からなくなった

祈雨・止雨の神として知られた古社です。 応仁の乱後に奉幣が途絶え、 やがて鎮座地も分からなくなりました。 現在は上社・中社・下社が候補です。

奈良県は、幕末から明治・大正期の所在地考証で三社が候補に挙げられ、現在に至ると説明しています。特定の一社を古社地と断定しません。

出典

①『こぶしほどの石が輪の形に並び、そのなかに細長い石が立っていた』は、宮の平遺跡の発掘成果として整理されている立石を伴う環状配石遺構の説明です。社の公式ページが記しているのは、縄文時代中期末〜後期初めの祭祀跡とみられる石棒が出土したところまでです。②約4000年前という年代は、縄文時代中期末から後期初めという幅のある区分にあたります。③遺跡が『祭りの跡』であることは、出土した物からそう見られるという整理で、当時の祭りの中身が分かっているわけではありません。④いまの丹生川上神社は上社・中社・下社の三社があり、この回は上社(奈良県吉野郡川上村)です。式内社『丹生川上神社』がどれにあたるかには諸説あります。⑤ナレーションでは、耳で分かるように一部の語をひらがなに開いています。⑥信仰やご利益を勧めるものではありません。

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・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。