崇神天皇六年、宮中を出た天照大神をまつる候補地はいまも複数

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笠縫邑(かさぬいむら)は、奈良県 桜井市周辺にある神社です。

笠縫邑は、天照大神を宮中の外でまつった場所なの?
笠縫邑は、古代の大和にあったと記されます。ただし正確な地点は、分かっていません。
日本書紀の崇神天皇六年は、天照大神とやまとおおくにたまの神を、天皇のおおとのの内にまつっていたと記します。
崇神天皇は、そのしんいを畏れ、同じ所にまつり続けることを安からずとしたのじゃ。
そこで天照大神をこうじょの豊鍬入姫命に託し、大和の笠縫邑でまつらせました。
これは日本書紀の、崇神天皇六年の条にある話です。現在の西暦に直した年ではありません。
その地には、磯堅城のひもろぎを立てた、と書かれておるのじゃ。
ひもろぎは、神をまつるために設ける、古い祭祀施設の姿の一つです。今の常設社殿と同じとは限りません。
つまり、最初から今の神社みたいな建物があった、とは書いていないんだね。
伊勢神宮の資料では、豊鍬入姫命のあと、倭姫命が各地を巡り、五十鈴川のほとりへ至ったとされます。
でも、その笠縫邑が、今のどこだったかは一つに決められないの?
候補の一つに桜井市の檜原神社があります。訪れたら、本殿と拝殿のない境内と三ツ鳥居を見てください。
笠縫邑は、名が記録に残りながら、地図の一点には戻せない、もといせ伝承の始まりにある地名なのじゃ。
伊勢神宮のはじまりの地は
どこか分かっていない
宮中にまつっていた天照大神を 大和の笠縫邑へ移した、と 『日本書紀』は記す。 伊勢へ移る前の、最初の社である。 その笠縫邑がどこかは、 いまも定まっていない。
檜原神社・多神社・笠山荒神社など候補地は十か所ほどあり、 どこであったかは諸説あります。
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