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伊勢神宮いせじんぐう

伊勢神宮(いせじんぐう)は、内宮(皇大神宮):三重県伊勢市宇治館町1番地外宮(豊受大神宮):三重県伊勢市豊川町279番地にある神社です。まつられているのは内宮:天照坐皇大御神(天照大御神)・外宮:豊受大御神。社格は式内社(大) 二十二社(上七社) 神宮(近代社格超越-対象外)。創建は内宮:垂仁天皇26年 外宮:雄略天皇22年と伝わります。

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この社のはじまり

三重で、正午にささげものを運ぶお祭りがあるの?

伊勢神宮。三重県伊勢市にあり、今回はないくうの祭りです。

神嘗祭は、新米を神さまにささげ、収穫に感謝する祭りです。

10月17日正午ごろ、ないくうで天皇の使いが絹などをささげます。

おこめのお供えも、正午にするの?

しんまいなどのお供えは、前日の夜10時と17日の午前2時ごろ。

夜のお祭りは、参拝時間の外で見られないのじゃ。

神嘗祭は、神宮で最も古い由緒をもつ祭りとされています。

神嘗祭は、明治の改暦より前は9月の祭りじゃった。

祭りは外宮が先、ないくうがあと。収穫に感謝をささげます。

祭りを結ぶみかぐらは、17日の午後6時ごろ。楽師が奉仕します。

参拝時間内なら、参道などから祭典の行列を見てください。

神嘗祭は、新しい実りへの感謝をささげる祭りじゃ。

三重の伊勢神宮で、神さまに新しい服をささげるって本当?

舞台は、伊勢神宮の内宮。三重県伊勢市、五十鈴川のほとりにあります。

神御衣祭は、古くから伝わる祭り。毎年5月と10月の14日に行われます。

正午から、皇大神宮と別宮・荒祭宮に、絹と麻の反物がささげられます。

この絹と麻、特別な名前があるの?

絹はにぎたえ、麻はあらたえ。御糸や御針なども、一緒にささげられます。

かんみそは、月の初めから、およそ2週間かけて織り上げられます。

804年の、こうたいじんぐうぎしきちょうにも、祭りの内容が詳しく記されています。

じつは、ただの衣替えではない、と伝わっておるのじゃ。

織物は今も、古式にならって、手作業で織り上げられます。

この祭りが行われるのは、皇大神宮と荒祭宮だけです。

行ったら、内宮の正宮の北に、荒祭宮を訪ねてみてください。

10月14日、神さまへ、新しい衣がささげられる日なのじゃ。

三重の伊勢神宮。この鳥居、前は何だったの?

宇治橋。三重の伊勢市、内宮の入口にあります。

宇治橋の鳥居は、しょうでんを支えていた柱から作られます。さらに次の町へ渡り、合わせて60年使われます。

もとは、棟持柱という太い柱じゃ。しょうでんの屋根の棟を、両端で支える役目がある。

神宮では、20年ごとに社殿を新しく造り替えます。そのときに出る古い木材も、できるだけ再び使います。

建物を新しくしたら、前の柱は捨てるのかと思ってた。鳥居として、また働くんだね。

橋を渡った内側の鳥居には、内宮の柱。町に近い外側の鳥居には、外宮の柱が使われています。

柱は削り直されて、鳥居になります。そして宇治橋でも、さらに20年の役目を果たします。

その次も、行き先が決まっておる。内側の鳥居は、亀山市の関の追分へ移されるのじゃ。

外側の鳥居が向かうのは、桑名市の七里の渡し。こちらは、伊勢国の東の玄関口とされた場所です。

しょうでんで20年、宇治橋で20年。その先の町でも20年。木は、場所と役目を変えながら使われます。

見るなら、宇治橋の両端に立つ鳥居の柱。かつて屋根を支えていた木だと知ると、見え方が変わります。

建て替えるたびに、すべてを捨てるわけではない。役目を変えて、木を受け継いでおるのじゃ。

三重の伊勢神宮。おまいりする場所のとなりに、いつも空き地がある。あれ、なんだろう。

場所は三重県の伊勢市。外宮は、伊勢市の駅から歩いて5分ほど。内宮は、少しはなれた五十鈴川のほとりです。

あの空き地は、次のお宮を建てる場所です。伊勢神宮は20年ごとに、社殿をまるごと建てかえます。

建てかえるのは正宮だけではありません。べつぐうが14。鳥居や宇治橋もふくめ、170をこえる建物すべてです。

式年遷宮といいます。持統天皇四年、690年から、1300年以上くりかえされてきました。

東と西に、まったく同じ広さの敷地があるのじゃ。20年ごとに、こちらへ、あちらへとうつってゆく。

建物だけではありません。装束や宝物も、およそ1500点。名前も形も材料も、当時のまま作り直します。

なぜ20年なのか。その理由は、どの書物にも書かれていないと、神宮は説明しています。

1300年やってきて、理由は分かってないんだ。

古い社殿の木は捨てぬのじゃ。宇治橋の両はしの鳥居は、前の社殿をささえていた棟持柱。20年たてば、また別の場所の鳥居になる。

次は第63回。2033年の秋、天照大御神が新しいお宮へおうつりになります。

行ったら、正宮のとなりの空き地を見てください。まん中に小さな屋根がひとつ。心御柱を納めた、覆屋です。

あの空き地は、あいているのではない。次の20年が、もう待っておるのじゃ。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・天照大御神…日の神。皇室の祖先とされる。
・豊受大神(食の神)…食べ物をつかさどる神。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

この社の特集

祭りと神事

伊勢神宮

5月と10月の14日

神さまに絹と麻の反物をささげる

毎年5月14日と10月14日の正午に行われる。 皇大神宮(内宮)と別宮の荒祭宮だけで行われ、豊受大神宮やそのほかの宮社では行わない。 絹は和妙、麻は荒妙と呼ばれる。 神服織機殿神社と神麻続機殿神社で、月の初めから2週間かけて古式のままに織られる。 平安時代の『皇太神宮儀式帳』と『延喜式』にも記録がある。

古くは神嘗祭の当日に神御衣が供えられていたので、衣替えではないと神宮は説明している。『皇太神宮儀式帳』は延暦23年(804年)にまとめられた、伊勢神宮に関する現存最古の記録。参列・見学については公式に記載がない。最新の案内は神宮公式で確認。

神様に話しかけてみたシリーズ

天照大御神

世界を真っ暗にした神は、

八百万の神の笑い声につられて出てきた

須佐之男命が田の畔をこわし、 服屋の屋根を穿って馬を落とし入れた。 おそれた天照大御神は天の石屋にこもり、 高天原も葦原の中つ国も暗くなった。 天宇受売命が踊り、神々が笑った声が気になり、 細めに開けた戸から手をとられて外へ出た。

神話です。起きた出来事としてではなく、 そう伝えられていることとして紹介しています。 せりふは『古事記』と伊勢神宮の公式をもとに こちらで言葉にしたもので、 神さまが実際にそう話した記録ではありません。 御鎮座の年は神宮の公式の書き方に合わせています。

出典

神嘗祭全体は10月15日から複数日にわたる。この動画の正午奉幣と午後6時の御神楽は内宮10月17日の予定。/神宮で最も古い由緒という説明にとどめ、創始年・創始者や明治の改暦による特定日への移動を推定しない。/祭神名はナレーションに出さない。神霊・ご神体は描かない。神様写実部品は不要。/夜間祭儀は一般奉拝不可。非公開儀式の内部を見てきたように描かず、夜の社域外観を象徴として使う。/絵は説明用の挿絵で実物の写しではない。奉幣の運搬・人物の装束は公式写真に照らして制作時に目視確認する。/全行7秒以内は文字数目安で設計。実音声の尺は後続Windows工程で確認し、超過は停止する。
『701年に定められた儀式』はチャッピー確認2回目で過大な断定と指摘され削除した=大宝律令・神祇令で国家の常祀に挙げられた記録はあるが、それが現在まで単純に継続したとは言えないため、本編では『毎年5月と10月14日に行われる、古くから伝わる祭り』とだけ言う。/時刻は公式の「正午」。それ以降の所要時間・退下の様子は公式に記載がないため、本編では時刻や情景を作らない。/参列・見学ができるかどうかは公式に記載がないため、本編では言わない(12は通常の参拝所として荒祭宮の位置を案内するにとどめ、祭典を見られるとは言わない)。/『はじまり』は、現存する最古の記録である804年の皇太神宮儀式帳の時点ですでに記されていた、という意味で言う(それ以前からの可能性はあるが、公式に確認できる年は804年)。「〜年つづいている」とは言わない。/『ただの衣替えではない』は公式の『古くは神嘗祭の当日に神御衣がお供えされていますので衣替えではないと言えます』にもとづく。理由(神嘗祭と同じ日だったこと)は尺の都合で本編では言わない。/祭神の名前は出さない(神さまと言う)。神霊・ご神体そのものは描かない。乗り物(御鳳輦等)も無い祭典なので描かない。/絵は説明用の挿絵で、実物の写しではない(装束・社殿・反物の質感・色は実物と細部が異なる)。/同じ社の本編(式年遷宮で20年ごとに空く土地)とは事実を重ねていない。
建築図は棟持柱の役目を説明する模式的な挿絵。非公開の御神体や正殿内部を復元しない。/宇治橋本体と鳥居の架け替え時期は同一ではない。特定の柱の現時点の樹齢や使用開始年は断定しない。/キューの「1300年この木材循環が続く」は根拠未確認のため採用しない。式年遷宮自体の歴史と混同しない。
式年遷宮がなぜ20年ごとなのかは、神宮自身が『いずれの書籍にも記載がない』と説明しており、確定した理由は無い(本編08で『どの書物にも書かれていない』と明言)。第1回の年は持統天皇四年(690年)と伝わるが、外宮は692年とされ、初期の経緯には異説もある。次回の遷御の儀は令和15年(2033年)秋の予定で、日取りは未公表のため月日は言っていない。どちらの敷地に今お宮が建っているか(東か西か)は回ごとに入れ替わるので触れていない。祭神(天照大御神・豊受大神)の性格や神話の解釈、皇室との関係といった論点には踏み込まず、参拝の作法の正誤も語っていない。ご利益は約束していない。旧用材の移設先は公式に明記が無いため具体名を出していない。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。