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江島神社えのしまじんじゃ

江島神社(えのしまじんじゃ)は、神奈川県藤沢市江の島2-3-8にある神社です。まつられているのは多紀理比賣命・市寸島比賣命・田寸津比賣命。社格は旧県社・別表神社。創建は(伝)欽明天皇13年(552年)と伝わります。

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この社のはじまり

神奈川のえのしまじんじゃ、明治まではお寺だったって。

えのしまじんじゃ。神奈川県ふじさわし、海にうかぶえのしまの上にあります。

このやしろは、明治6年まで神社ではありませんでした。きんきさんよがんじというてらで、まつられていたのは弁財天です。

江戸時代までは、えのしま弁天、えのしまみょうじんとよばれ、日本三大弁財天のひとつとされてきました。

はじまりは、島の南にある岩屋という洞くつじゃ。社伝では、552年、天皇のみことのりでその洞くつに宮を建てたと伝えられておる。

1182年には、みなもとのよりともの願いで、もんがくというそうが弁財天をむかえたと伝えられています。

じゃあ、いまの三姉妹の女神さまは、あとから決まったの。

そうじゃ。明治のはじめ、神と仏を分ける決まりができての。明治元年には、さんじゅうのとうまで壊されてしまったのじゃ。

そして明治6年、仏式をやめて神社となり、えのしまじんじゃと名を改めました。

いまの祭神は、たぎりひめのみこと、いちきしまひめのみこと、たぎつひめのみこと。奥津宮、中津宮、辺津宮のさんぐうにまつられる、三姉妹の女神です。

では弁財天はどこへ行ったのでしょう。いまも辺津宮のとなりの、ほうあんでんにまつられています。はっぴ弁財天と、みょうおん弁財天です。

行ったら、辺津宮のとなりのほうあんでんをのぞいてみてください。神社の中に、弁財天がすわっています。

神社になっても、弁財天は追い出されなかった。えのしまは、そのどちらも今もかかえておるのじゃ。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・宗像三女神・弁天…海の道の神。のちに弁天さまと重ねられた。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

出典

①552年に洞窟へ宮を建てたという話、1182年に文覚が弁財天を迎えたという話は、いずれも社に伝わる伝承です。事実として確かめられたことではありません。本編でも「伝えられています」と言っています。②「明治6年に神社となった」は改称と社格の記録によるもので、神仏分離そのものは明治元年から数年かけて進みました。③江島弁天・江島明神という呼び名は江戸時代の資料に見えるもので、時代や資料によって表記に幅があります。④弁財天は仏教とともに伝わった信仰で、いまの江島神社の祭神とは別にお堂でまつられています。どちらが正しい・古いという評価はしていません。⑤日本三大弁財天という言い方は、数え方や資料によって組み合わせが変わります。⑥奉安殿の拝観は有料で、時間や休みが変わることがあります。行かれる前に社の案内をご確認ください。⑦信仰そのものへの評価はしていません。ご利益も約束していません。⑧ナレーションは耳で分かるように、一部の語をひらがなに開いています。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。