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土佐神社とさじんじゃ

土佐神社(とさじんじゃ)は、高知県高知市一宮しなね2丁目16-1にある神社です。まつられているのは味鋤高彦根神・一言主神。社格は式内社(大) 土佐国一宮 旧国幣中社 別表神社。創建は(釈紀)第21代雄略天皇4年と伝わります。土佐国の一之宮です。

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この社のはじまり

高知の土佐神社、どうして建物が十字の形なの?

とさじんじゃ。高知県高知市にある、土佐のいちのみやです。

1570年、ちょうそかべもとちかが、社殿を建て直しました。

土佐神社の社殿は、上から見ると十字で、いりとんぼと呼ばれる形です。

本殿へとんぼが飛びこむ姿に見立てたと言われるのじゃ。

土佐神社の拝殿は、前にも長くのびているんだね。

もとちかが、いくさから帰ったことにちなんで建てたと伝えられています。

土佐神社の神さまは、日本書紀の675年のところにも出てきます。

土佐の国でいちばんの、いちのみやとされてきたのじゃ。

ろうもんと、ころうは、土佐藩の山内ただよしが建てたんだね。

本殿と、へいでんと、拝殿は、国の重要文化財です。

参拝したら、拝殿を横から見て、前に長くのびた屋根を見てください。

もとちかの建てた、いりとんぼの社殿が、いまも立っておるのじゃ。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・味耜高彦根…大国主の子とされる、田と雷の神。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

出典

再興の年は、公式が「元亀元(1570)年」、高知市・文化庁は建物の年代を「1571年(元亀2年)」、Wikipediaは「永禄11年着手・元亀2年完成」とする。題名・本編は公式の1570年(再興)を使い、「建て直した」と言う(完成年とは言わない)。/「入りとんぼ」という呼び名と十字形の平面は高知市の文化財解説(こうち旅ネットも入蜻蛉と記す)。「とんぼが本殿へ飛び込む姿に見立てた」は公式・高知市・文化庁のどこにも無く、Wikipedia等の解説による=本編05は「と言われる」の伝聞にとどめる。とんぼの頭と尾をどこに当てるかは資料で食い違う(本殿を頭/幣殿を頭)ので本編では言わない。/「凱旋にちなんで造営した」は高知市の解説でも「伝えられる」=本編07も「伝えられています」。戦の名や勝敗は言わない。長宗我部元親・山内忠義の人物評はしない。/公式トップ・由緒ページには「とんぼ/入蜻蛉」の語が無い(2026-09-27 確認)。社殿の形の根拠は高知市の文化財解説。/08は公式の「日本書紀の天武天皇四(675)年の条に土左大神」の言い換え。御祭神(味鋤高彦根神・一言主神)は本編で名指ししない(写実の神様部品が無いため)。神様の絵は使わない。/12の「前に長くのびた屋根」は高知市の「前方には桁行六間、梁間一間の拝の出がのびていて」による。/画像はAIで作った再現イメージで、実物の写真ではない(社殿の組み方・屋根・楼門・鼓楼の細部は実物と異なる)。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。