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矢先稲荷神社やさきいなりじんじゃ

矢先稲荷神社(やさきいなりじんじゃ)は、東京都 台東区にある神社です。

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この社のはじまり

東京の下町に、天井が馬の絵でうまったやしろがあるんだって。

やさきいなりじんじゃ。拝殿の天井には、神武天皇のみよからのにほんばじょうしをえがいた、百枚の絵がおさめられています。

なぜ、いなりのやしろに、馬の絵なのか。答えは、このやしろのはじまりにあります。

かんえい十九年、西暦千六百四十二年。三代将軍とくがわいえみつが、この地に浅草三十三間堂を建てました。

三十三間堂って、京都のあれだよね。どうして浅草にあるの。

京都の三十三間堂にならって建てられた、弓のためのお堂です。国家の安泰と、市民の安全祈願、そして武道の練成のためでした。

ここでは通し矢という、弓の腕をきそう行事が行われての。先人に勝てば堂にがくをかかげられる、武士の名誉じゃった。江戸の町の人にも見物が許されたのじゃ。

そのお堂の守り神として、いなりだいみょうじんがまつられました。その場所が、ちょうど矢のまとの先に当たっていたのです。

だから、やさきいなり。社名は、弓を射る向きから生まれました。

げんろく十一年、西暦千六百九十八年。浅草を中心とした大きな火事で、堂も社も焼けました。三十三間堂は深川への移転を命じられます。

堂は去りましたが、やしろは残りました。近くに住む人たちの願いで、この土地のうぶすながみとして、この場所に残されたのです。

行ったら、拝殿の天井を見あげてください。百枚の馬の絵は、弓と馬の武芸がここにあった、という記憶です。

まとの先にまつられたいなりが、堂が去ったあとも、この町のうじがみでありつづけておるのじゃ。

この社のこと

出典

社名の由来(稲荷をまつった場所が通し矢の的の先に当たっていたから『矢先稲荷』)は、社と台東区の公式が「といわれています」として伝えている話です。起きた出来事としてではなく、そう伝えられていることとして紹介しています。天井画の100枚という数と『日本馬乗史』という内容は、台東区公式観光情報サイトと浅草観光連盟の記述によります。描き手や制作年を伝える記事もありますが、社と区の公式では確かめられなかったので触れていません。元禄11年の火事のあと三十三間堂が深川へ移り、当社が当地に残った経緯は『東京都神社名鑑』と社の由緒によります。ご利益は約束していません。

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