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建勲神社たけいさおじんじゃ

建勲神社(たけいさおじんじゃ)は、京都府 京都市北区にある神社です。

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この社のはじまり

京都の街なかの丘に、信長をまつる神社があるんだって。

たけいさおじんじゃ。京都市北区の、ふなおかやまという丘の上にあります。

まつられているのは織田信長。戦国の世に天下統一を進め、朝廷の儀式の立て直しにも力をつくした武将です。

てんしょう十年、西暦千五百八十二年。ほんのうじの変で、その生涯は終わりました。

知らせを受けたとよとみひでよしは、やまざきの戦いであけちみつひでを討ち、むらさきののだいとくじで、七日間の大きな法要を営みました。

そのひでよしがな、信長の霊をなぐさめるために、この丘に寺を建てようとしたのじゃ。

おおぎまち天皇からは、てんしょうじという、寺の名まで賜っています。

ところが、いまこの丘に建っているのは、寺ではありません。

じゃあ、この神社はだれが建てたの。

明治二年、西暦千八百六十九年。明治天皇から、信長をまつる神社を建てよという宣下がありました。翌年には、たけいさおという神号が贈られ、これが、そのまま社名になりました。

この丘は、平安京が造られたとき、げんぶの小山と占われた場所です。丘の真南が、だいごくでんと朱雀大路になりました。

行ったら、社殿の前から、南を向いてください。その線の先に、平安京の中心がありました。丘は昭和四十三年に、国の史跡に指定されています。

寺になるはずだった丘に、いまは信長がまつられておるのじゃ。

この社のこと

出典

★人物への評価は一切していない(何をしたかだけ)。信長・秀吉・光秀のいずれについても是非を述べていない=歴史上の偉人と神社_作り方.md ④の線引き。/天正寺が実際に建立されたかどうかは公式に記載が無いため、本編では『建てようとした』『寺号を賜った』までにとどめた。/明治2年の創立宣下のあと最初にどこへ社殿が建てられたかは公式に記載が無い。本編では触れていない。/船岡山が信長の墓所・大葬地であるという説には触れていない(公式の記述の範囲を超えるため)。/所在地は〒603-8227 京都市北区紫野北舟岡町49、市バス『建勲神社前』。公式サイトのアクセスは画像のため、住所は概要欄にのみ記す。/応仁の乱で西軍の陣地となり『西陣』の名の由来になったことは公式にあるが、12コマに収めるため本編からは外した(次の回で使える)。

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