神社のはじまり

神社のはじまり > 全国の神社マップ > 東京都 > 紅葉山東照宮

紅葉山東照宮もみじやまとうしょうぐう

紅葉山東照宮(もみじやまとうしょうぐう)は、東京都 千代田区・江戸城紅葉山にある神社です。

動画で見る

この社のはじまり

東京に、将軍しかお参りできない神社があったんだって。

江戸城の中に、徳川家康をまつるやしろがありました。もみじやま東照宮。251年つづきました。

建てられたのは1618年。日光や、くのうざんの東照宮と、ほとんど同じころです。

ちがうのは場所です。城の中なので、お参りできるのは将軍と、城に入れる人だけでした。

将軍は年に四度、それぞれ十七日にお参りしたのじゃ。幕府の決まった行事じゃった。

四月十七日は、家康の命日です。このやしろは、その日に正式にまつられました。

城の中に、将軍だけの東照宮があったんだ。

そのあとの将軍たちをまつるお堂も、この丘に並んでおった。

1639年には、城の書物の蔵も、この丘へ移されます。もみじやま文庫です。

幕末には、およそ11万冊。将軍のために集められた本が、ここにありました。

そのやしろも、その文庫も、いまは無いんだよね。

1869年に取りはらわれ、251年の歴史が終わりました。本だけは、東京のこくりつこうぶんしょかんで今も見られます。

行くならこうぶんしょかんじゃ。将軍しか読めなかった本が、いまは誰の前にも開かれておる。

この社のこと

この社の特集

消えた社

紅葉山東照宮

江戸城の中に

将軍だけの東照宮があった

元和4年(1618年)、江戸城の紅葉山に 徳川家康の廟所が置かれた。 家康の命日には将軍が参詣し、 幕府の公式の行事とされた。 江戸開城ののち、 明治政府の命で取り払われた。

跡地は大正3年(1914年)から紅葉山御養蚕所になっている。 上野東照宮の参道にある石鳥居は、 ここから移されたものと伝えられる

出典

①紅葉山にあった歴代将軍の廟は「お墓」ではない。墓所は増上寺・寛永寺・日光にあり、紅葉山にあったのは城内でまつるための廟(御霊屋)なので、本編[08]では「まつるお堂」とだけ言っている。②創建の日付は資料により「元和4年閏3月17日 仮殿鎮座」「同年4月17日 正遷宮」と段階があるため、本編[03]は年(1618年)だけを言い、[06]で4月17日の正遷宮に触れている。③「251年」は1618年(創建)から1869年(撤去)までの年数。撤去命令は前年の明治元年12月に出ている。④将軍の参詣日(1月・4月・5月・9月の17日)は時期により変動した可能性があるため、本編では「年に四度」と数だけを言っている。⑤蔵書数「およそ11万冊」は幕末時点の概数。数え方により幅がある。⑥上野東照宮の石鳥居や海雲寺山門が紅葉山から移されたものだと伝えられるが、確定した史料を確かめられなかったので本編では使わず、概要欄に「伝えられる」として書いた。⑦跡地は現在の皇居・吹上御苑の中で、大正3年(1914年)から紅葉山御養蚕所が置かれており、一般には立ち入れない。⑧ご利益は約束していない。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけていない。徳川家康ら実在の人物への評価も語っていない。神様の姿も描いていない。

ほかの社を見る

東京都の神社

今戸神社大國魂神社富岡八幡宮小河内神社小網神社小野神社愛宕神社日枝神社明治神宮東京大神宮根津神社水天宮

全国の神社マップへご利益マップへ

このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。