いまの藤崎台球場は、もとの境内。1877年に社殿焼失、その後移転

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藤崎八旛宮(ふじさきはちまんぐう)は、熊本県 熊本市にある神社です。

熊本のこの神社、昔は球場の場所にあったの?
藤崎八旛宮は、熊本市の町なかにあります。
もとの境内は、熊本城のすぐ隣。いまの藤崎台球場の場所にありました。
1877年の西南戦争で、社殿は焼けてしまいます。いまの場所へ移ったのは、そのあとです。
焼けた場所で、建て直したのではないのじゃ。もとの境内が、軍の用地になったためじゃ。
移った先では、翌1878年に仮の社殿を建てました。まずは、祈りの場所を整えたのです。
本殿が建ったのは、1884年。移転して、すぐに全部そろったわけではありません。
もとの境内の一帯には、1960年に野球場が造られました。移転から、長い時を経てのことです。
神社が動いたあとに、球場ができたのか。球場を造るために、移したわけじゃないんだ。
藤崎台という名前は、いまも球場に残ってる。神社が移っても、昔の名前は残るんだね。
球場のバックスタンドの裏には、大きなクスノキの群れが残っています。国の天然記念物に、指定されています。
球場の西側にも、かつての参道に伴う石垣が残っています。訪れたら、足もとにも注目です。
やしろが移っても、もとの場所は空っぽではない。名前と木と石垣が、歩みを伝えておるのじゃ。
熊本城の鎮守は
いまの場所にはなかった
承平5年(935年)、国府のあった 茶臼山に石清水八幡宮から勧請された。 江戸時代には熊本城の鎮守とされたが、 明治10年の西南戦争で社殿が焼け、 東の井川淵町へ移って建て直された。
もとの社地は、いまの藤崎台県営野球場のあたり。 「藤崎台」の名だけが残っている。社名に「幡」ではなく 「旛」を使うのは、後奈良天皇から賜った勅額にならったもの
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