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志波彦神社しわひこじんじゃ

志波彦神社(しわひこじんじゃ)は、宮城県 塩竈市一森山にある神社です。

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この社のはじまり

宮城に、64年間も社殿がなかったおやしろがあるんだって。

しわひこ神社。えんぎしきに載る、みちのくに15社しかない名神大社の一つです。

このおやしろは、64年間よその神社の境内にあったのです。

もとはいわきりの、かんむりがわのほとりにありました。ただ、その正確な場所は分かっていません。

中世に衰えてのう、石を積んだ、たてよこ2メートルたらずの小さなほこらになっておったのじゃ。

1675年、いわきりの別のおやしろに、いっしょにまつられます。

名神大社なのに、そんなに小さくなっちゃったのか。

明治4年、国はこのおやしろを国幣中社に列します。社格だけが、もどりました。

じゃが社殿が無い。明治7年12月24日、いわきりで神さまを移す遷座の祭りがおこなわれたのじゃ。

神さまはしおがま神社の境内へ移り、そこから64年、かりのお住まいで過ごします。

自分の社殿ができたのは、いつ。

1938年です。行ったら、朱と黒のうるしをぬった社殿を見てください。しおがま市の文化財、第1号です。

もとの場所は分からずとも、名だけは、いまも消えておらん。

この社のこと

出典

①旧社地=公式の由緒は「仙台市宮城野区岩切の冠川の畔」と書いているが、岩切のどこかという正確な地点は決着していない(現・仙台八坂神社境内の冠川神社を旧社地とする説が有力とされる)。本編[03]で「その正確な場所は分かっていません」と明言した。②遷座の年=公式の由緒は明治7年12月24日の遷座祭とする。一方で鹽竈神社(Wikipedia)は「明治10年3月 鹽竈神社境内に遷宮」とも書いており、記述に幅がある。本編は社自身の由緒(明治7年12月24日)を採り、そのぶん「64年」も1874年→1938年で数えた。③神階=『日本三代実録』貞観元年(859年)に正五位下から従四位下へ進んだ記録があるが、弘仁3年(812年)従二位昇叙説は親本の『日本後紀』に同じ記載が無く疑問があるとされるため、本編では神階に触れていない。④祭神の志波彦大神の由来には諸説あり(地名・水神・製鉄など)、本編では祭神論に立ち入っていない。⑤合祀先の牛頭天王社(現・仙台八坂神社)の小祠の寸法は伝えに幅があるため、本編は「たてよこ2メートルたらず」とだけ言っている。⑥「全額国費で造られた最後の神社」という言い方が各所にあるが「〜とも言われています」の類なので本編では使っていない。⑦ご利益は約束していない。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけていない。神様の姿も描いていない。実在の社殿は写実的に描かず落書き風のままにしている。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。