神社のはじまり

神社のはじまり > 全国の神社マップ > 栃木県 > 新湯温泉神社

新湯温泉神社あらゆおんせんじんじゃ

新湯温泉神社(あらゆおんせんじんじゃ)は、栃木県 那須塩原市にある神社です。

動画で見る

この社のはじまり

栃木の山の中に、村ごと消えた温泉場があるんだって。

おくしおばらの、あらゆおんせんじんじゃ。この石段は、もとはここにありませんでした。

二キロ半ほど先の、いまはもう無い村から、人の手で運ばれてきたものです。

その村の名は、もとゆ。塩原の湯のはじまりの地じゃ。西暦八百六年に見つかったと伝わる。

もとゆせんげんと呼ばれ、いちばん栄えたころは、はちじゅうごけんの宿が並んでいました。

西暦千六百五十九年、四月二十日の大地震。村は山津波におそわれ、大きな被害を受けます。

それでも、立て直したんだ。

はい。ですが西暦千六百八十三年の日光大地震で、もとゆは壊滅しました。

村人は散り散りになり、一部が二キロ半ほど先のあらゆへ移って、湯治場を開きます。

西暦千七百十三年ごろまでにな。宇都宮の藩主の力ぞえで、やしろも石段も石の六地蔵も、人が担いで運ばれたのじゃ。

村は無いのに、やしろだけ引っ越したんだ。

宿も九軒、いっしょに移されました。行ったら、石段のわきの六地蔵をさがしてください。西暦千五百十八年の石です。

村は消えても、湯とやしろはここに残ったのじゃ。

この社のこと

この社の特集

山に還った社

温泉神社(新湯温泉神社)

山津波で村が無くなり

石段ごと社を運びだした

もとは塩原温泉のはじまりの地、元湯にあった社。 万治二年の会津の地震で山津波が起き、 天和三年の日光の地震で元湯は壊滅し、 湯本村は無くなった。 社の再興を願う人々の手で、正徳三年ごろまでに 社も石段も石の六地蔵も、人力で新湯へ移された。

創建は大同元年(八〇六年)と 伝えられますが、確かめられていません。 天明三年に宇都宮藩主 戸田忠寛の寄進で 建て直された本殿は市の指定文化財です。

出典

①元湯の発見(大同元年=806年)は『伝えられる』とされる伝承で、同時代の記録ではない。本編でも『伝わる』と言っている。②神社の創建は「大同元年(806)または安元元年(1175)」と2説あるため、本編では社の創建年を言っていない。③『元湯千軒』は栄えた様子を表す呼び名で、実際の軒数ではない(最盛期85軒)。本編でも実数を並べて言っている。④遷座は『正徳3年(1713)頃までに』と幅のある書き方が市の説明のとおりなので、本編でも『ごろまでに』と言っている。⑤石幢が遷されたのは市の説明では「正徳3年(1713)に…宇都宮藩主により」、神社と石段は「神社再興を願う人々により、正徳3年頃までに」とあり、主語がやや異なる。本編では『宇都宮の藩主の力ぞえで、人が担いで運ばれた』と両方を立てた言い方にしている。⑥主祭神は市の文化財説明に書かれていないため、本編でも概要欄でも祭神を断定していない。⑦ご利益は約束していない。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけていない。神様の姿は描いていない。実在の社殿は写実的に描かず落書き風のままにしている。⑧地震の被害は当時の記録に基づく事実として述べており、社や土地を危ない場所として断じるものではない。

ほかの社を見る

栃木県の神社

宇都宮二荒山神社日光二荒山神社日光東照宮

全国の神社マップへご利益マップへ

このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。